- 本日のDodgersは、オフ。次戦でのWashington NationalsのNationals Parkへの移動。
- ワシントンは、ちょうどポトマックリバー沿いの桜が満開。
- もともとは、まだ東京が市だった東京市から1912年に贈呈され、植栽されたもの。
- 当初2,000本だったが、現在3,800本。
- 100年前(1926年頃)の桜の木もまだ残ってる。
- 桜まつりには、160万人が観桜。
- 球場内に植えられている桜は、遅めの開花の関山(カンザン)という品種で、濃いめのピンクの八重桜。
- 以下は、Geminiからの桜の植栽の背景
1912年(明治45年)、東京市からアメリカのワシントンD.C.へ桜の苗木が贈られた
主なきっかけと経緯は以下。
1. 二人のアメリカ人の熱意
このプロジェクトの原点は、一人の女性作家と一人の学者の熱意にありました。
エリザ・シドモア: 紀行作家であった彼女は、1880年代に訪れた日本の桜に魅了され、
ワシントンのポトマック河畔に桜を植えることを20年以上も政府に働きかけ続けていました。
デビッド・フェアチャイルド: 農務省の植物学者で、自身の庭に日本の桜を植えてその美しさを
確信し、公的な場所に植えることを提唱しました。
2. ファーストレディへの手紙
1909年、シドモアは当時のタフト大統領夫人、ヘレン・タフトに「ポトマック河畔の改修地に桜を植えてはどうか」という手紙を送りました。
日本文化に関心の高かった夫人はこの提案に即座に賛成し、計画が動き出しました。
3. 東京市長・尾崎行雄の決断
このニュースを耳にしたのが、当時、日露戦争でのアメリカの仲裁に対する「謝礼」の機会を探していた東京市長・尾崎行雄でした。
尾崎は「日米親善の証」として、東京市から桜を寄贈することを決断しました。
これは民間レベルの交流を国家間の友好へと昇華させる象徴的な出来事となりました。
4. 一度目の失敗と「奇跡の苗木」
実は、最初に贈られた2,000本の苗木(1910年到着)は、検疫の結果、害虫が見つかり、
すべて焼却処分されるという悲劇に見舞われました。しかし、両国の友好の意志は揺るぎませんでした。
科学的対策: 静岡県興津(現在の静岡市)の農商務省農事試験場で、徹底した防虫対策を施した苗木が
新たに育成されました。
再贈呈: 1912年3月、ソメイヨシノを含む12種類、合計3,020本の苗木が再びワシントンに到着し、
今度は無事に検疫を通過しました。
5. 植樹式と現在
1912年3月27日、ポトマック河畔でタフト大統領夫人と珍田捨巳(ちんだ すてみ)駐米大使夫人の
手によって、最初の2本の苗木が植えられました。
これが現在も毎年春に開催される「全米桜祭り(National Cherry Blossom Festival)」の起源となり、100年以上経った今も日米友好の象徴として咲き誇っています。
Dodgersはオフ Washingtonへの移動日 Apr.3(fri.)(JST) Apr.2(PDT)
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